新しい教育へ〜長澤佳則〜

教育コンサルタントとしての活動報告をしております

合理的な意見を言う≠コミュ力が高い


合理的な意見を言える≠コミュニケーション能力が高い

独立して今現在すごく痛感していることが、、自分自身のコミュニケーション能力の低さです。
「合理的に考えることができている自分は正しい。自分の考えが一番だ」と決め思いこんで、教員時代は同僚や生徒の話をちゃんと聞けていなかったな、と今まさに深く反省をしています。
 
今日、自分の成長を感じることができる出来事がありました。
 

母とのコミュニケーション

双子が生まれて1か月半。
車で30分ぐらいの距離に住む私の親に、次男を連れていくことにしました(長男は乳児湿疹が顔にあったため妻とお留守番)。
生まれてから一度だけ会いに来てくれましたが、私の親は遠慮がちで、赤ちゃんに会いに来るのを控えていました。
 
次男だけでしたが、連れて行ったら私の両親とおばあちゃんはとても喜んでくれました。
1時間ぐらい実家で過ごした後に、車で帰ろうとしたときに、私の母親が「次男の面倒見るから一緒に車に乗っていい?」と言ってきました。
双子のため軽自動車の後ろにはチャイルドシートが2つあります。
なので私の母親が乗るのは助手席で、チャイルドシートに乗る次男(しかも後ろ向きなので様子も見れない)の面倒を見るのは物理的に無理でした。
「車見たと思うけど、後部座席にチャイルドシート2つあるから、かあちゃんは助手席に乗ることになって、面倒みれないよ!?」と正論を言ったところ、残念そうな顔をしていました。
今までの私だったら、母親の意見を無視して、そのまま帰っていましたが、母の助手席でもいいから乗りたいという思いを汲んで、車に乗ってもらうことにしました。
妻と長男が待っている家の最寄り駅に近づいたときに、私が母親に「最寄り駅でおろすね。一緒に来てくれてありがとう」と言ったところ、母が「〇〇くん(長男)に会うことできるかな・・・」と遠慮がちに言ってきました。
 
そこで初めて気がつきました。
母親が車に乗りたいといった本当の意味を。
「長男に会いたい」という思いが母にあったのです。
 
「長男に会いたい」と初めから母親が言っていたら、このようなコミュニケーションの違和感は生じていなかったと思いますが、母が本音を言い出しづらいような関係性を私が作っていたのだと感じました。
 

話を聞けない人はコミュ力が低い人

今まで私が親に対してしてきた、自分の態度やコミュニケーションを振り返ってみると、親の話を「しっかりと聞く」ということができていませんでした。
今までずっと反抗期だったのです。
自分の考えや行動が正しいと親に思ってもらえるように、親の年収を越えようと努力したり、親にはないものを手に入れようとしていました。
「マウントをとりたい」という思いがゆえに、聞く力が最低でした。
 
「家族を大切にできないやつはビジネスで成功できない」
 
最近とある講演家のYouTubeで聞いた言葉です。
 
コミュニケーションの基本は聞く力。
 
ビジネスだけでなく、家族に対してもいいコミュニケーションが取れるように、まずは家族の話をしっかり聞くことを実践していこうと思います。
 
〈良い教育も生徒の話を聞くところから〉